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2009年5月

四度目の怪我

2009年5月26日 四度目の怪我

Kaidan1

Yubi1_2 土曜日夜、二階から降りる途中、
不覚にも階段の踏み板に足をとられ、
落ちるはずみに左足の親指を
突き指しました。
あとで考えると両手に本を持
っていたのがいけなかった。
残り2段というところで左足の
かかとが残り、前のめりに落
ちて、最初に打った
ところが左足の親指、
全体重がそこにかかったようです。
その夜は指が腫れて一面に内出血のあおあざができました。
とりあえず炎症と痛みどめの湿布を貼って処置したつもりでした。
しかし、痛みが長引くので、本日、二日遅れで
いつもお世話になってる整形外科で診察を受けましたところ、
突き指した左足親指には付け根の骨にヒビが入っており
全治2週間との診断をうけました。
治療は、折れかけた指に金属の添え板をし、隣の指と一緒に
包帯で巻きつけて終わりでした。
Yubi2_2 湿布は、皮膚のカブレの恐れがあり、
そうなると
今後の治療の差し支えになるので、
以後使用しないように
といわれました。
なるほど、3日間湿布した皮膚は
ぶよぶよになっており
初期の処置がまずかったといわ
れても仕方ありません。
そのかわり、痛ければ、痛み止め
の薬を飲むようにとのこと。
痛み止めの薬は前に貰ったのがありますと言ったら
それでいいと。この薬は有効期間が長いそうです。
さらに、足指を動かすのは骨に入った傷の回復に悪影響があるので
なるべく動かさないようにと言われました。
2週間後に経過を見るとのことです。
ビッコ引き引き帰宅しました。
当分、外出も控えなければならないでしょう。
鬱陶しいことです。

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もとさんは「特定高齢者」

2009年5月20日 もとさんは「特定高齢者」

3月に健康診断を受診しました。その際、市が高齢者に対して無料で行う
「生活機能評価」という受診項目があり、それは、アンケート形式で健康
状態を調査するものです。
今日、その結果が郵送されてきました。

貴方は「特定高齢者」と判定されました。よって、今後、市の「地域包括
支援センター」が生活上お困りのことを、お助けいたします。

とのことです。
ちなみに、「特定高齢者」とは「生活機能の低下が見られ始めてい
るが、まだまだ機能の維持改善ができる状態の人」
と説明されてい
ました。そして、あなたは介護予防事業の利用がのぞましく、
ここに、市の企画している各種を関連行事を紹介するので、ふるって
参加してください。とのこと。
あわせて介護予防行事案内のちらしも同封されていました。
・「はつらつアップ」教室
・「お口元気UP教室」
・高齢者のための「運動機能測定」
いずれも、市の高齢福祉課主催で市内各所の地域包括支援センターが
行うものとなっています。

もとさんはといえば、特定の運動こそしてはいませんが、コーラスや近所
の仲良しお付き合い、家内の買出しショッピングのお供、趣味としては
パソコン、図書館など、けっこう体と頭を使っているので、市のこういっ
た催しには当分参加しないでしょう。いや、もとい、「運動機能測定」に
は、せめて参加してみましょう。当局のお心遣いに応える意味でも。

蛇足ながら、なぜもとさんが「特定高齢者」と判定されたかについては、
送られてきた書面の判定結果についての解説に書いてありました。

アンケートに25の設問があったうち、いくつかの生活機能関連の設問
で基準を超えて「はい」があると、一応、特定高齢者として扱うことになる。

とのことです。
もとさんは「この1年間に転んだことがありますか」、「転倒に関する不安
がありますか」の設問にイエスと書いた
から運動機能低下があったことになり、
従って「特定高齢者」に判定されたのです。誰をうらむこともありません。

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難波歴史の道(3)

2009年5月12日 難波歴史の道(3)

今日の産経新聞夕刊「暮らしと経済」面のトップは、思いがけず
過去2回もとさんのブログで題材にした「難波歴史の道」でした。
我が意を得たりで、しつこいようですが、また書きます。
この記事の書き出しは
「大阪のど真ん中に約10万平方㍍規模の古代都市遺跡が保存され
ているのは、奇跡に近い」

とあります。
以下、主な記述をたどると
・森ノ宮にある「大阪歴史博物館」の地下でガラス越しに難波宮の
 遺跡が見られる。
・そこから、現在の近鉄のガードまでの道は、真っ直ぐ朱雀大路が
 あった痕跡と重なる。
・その道は四天王寺付近まで達しており、ここが、都の南の入り口
 であったらしい。
・四天王寺の山門の造営は難波宮の造営と時代的に重なる。
・この地域には、当時の面影を示す遺構が数多い。

そして、この記事は次の言葉で締めくくられています。
「大阪城から南へ難波宮跡・四天王寺・住吉大社へと続く上町台地
こそは、生きた歴史ミュージアムである。」

よくぞおっしゃってくださいました。修学旅行の生徒たちも外国で
遊んで、ついでに風邪ひいてくるひまがあったら、ぜひここを歩い
て大阪のルーツを体感してほしいと思います。
産経新聞のサイトには、残念ながら上記の記事がアップされていな
いようなので、自前でとりあえずコピーをしました。詳細は こちら

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庭の梅の実をとりました

2009年5月9日 庭の梅の実をとりました

庭の梅に今年も実がなりました。天気が良かったので、がんばって
二人で作業して、無事に小梅2キロ半とれました。
昨年には、なつめの実とりにひとりで作業して、はしごから転落
大失敗をしましたので、今回は慎重に夫婦共同作業です。
090509_21220001
家内は孫のために梅干を作ると言っていそいそしています。
終わって、片付けをしながら足元を見ると、きれいな花が一本だけ
咲いていました。
【セイヨウオダマキ】
Seiyouodamaki 種をまいたのではありません。
野鳥が運んできたかも。

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難波歴史の道界隈を惜しむ(2)

2009年5月7日 難波歴史の道界隈を惜しむ(2)

今朝のTV「よーいドン」関テレは玉造界隈を紹介していました。

つい先日、行ったばかりのところなので、とても興味を持って見ました。

ここは、神社やお寺あり、古い商店街あり、民家ありと本当に昔の情緒豊

かな街です。単なる下町ではありません。そして、番組はもとさんが先日

歩いた「難波歴史の道」の難波宮に至って終わりました。

「難波歴史の道」をウェブで検索してみると、近畿ブロック知事会の肝い

りで策定された近畿二府七県の共同事業「道と文化財」の一環として、重

要視されています。しかし、指定するだけでは

駄目でしょう。古代から近世までの歴史をとどめつつ、なおホテル、劇場や

球場まで立地して息づいていたこの地の現状が崩壊しかかっていること

をあらためて惜しく思いました。

Rekishi_nanba 左写真は関連の立派な石碑(上記ウェブより)

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さびれた森の宮界隈を惜しむ

2009年5月5日 さびれた森の宮界隈を惜しむ

こどもの日、毎年恒例の会議に出席すべく、大阪城の近く森の宮

というところへ行きました。昼食を、久しぶりに会うポン友と共

にしようと考え、前夜、以前に利用しイタリヤ料理店に電話をし

てみたところ、「現在使われておりません」とのこと、さらば別

のところとそこから近いホテル「アピオ大阪」に電話を掛けてみ

たら、またしても「現在使われておりません」の応答でした。

少々意外に思いつつ、まあ何とかなるだろうと思って出かけたの

ですが、まず目に入った地下鉄の駅の案内表示は「アピオ大阪」

と「ピロテイホール」の文字の上に貼られたガムテープでした。

実はこのあたりで有名なこの2施設は閉鎖されてしまっていたん

です。もちろんイタリヤ料理は閉店、会議場の隣のしゃれた喫茶

店もガランどうになっていました。

「ピロテイホール」に続く「府立青少年会館」もこどもの日だと

いうのに目立ったイベントもなくさびれてしまっていました。

裏手にあった大阪球場の跡地、草ぼうぼうで静まりかえっています。

かつてはこういった著名な文化施設があり、あわせてこのあたり

には緑が多く、整備された 「歴史の道」があって、

そこここにある案内板に目をとめながら散策すると、それに沿

ってしゃれたレストランの点在する風情が何ともいえず、

とても気に入っていた場所だっただけにショックを受けました。

不況がこのようなところにまで影を落としているのでしょうか。

すこし離れた放送局のほうまで行って、やっとビルの一角にある店

でランチをとることができましたが、お気に入りの個所がなくなってし

まったことに失望しました。

こんなことはずばり実在の地名を書いてもブログのマナーに反しは

しないでしょう。

橋下さん、WTC活性化は大事でしょうが、

森の宮近辺も何とかしてあげてくださいよ。

今ならまだ見れます「アピオ大阪」への案内図、大阪球場跡も書いてある。

球場跡の左側が「歴史の道」です。続いて(旧)「府立青少年会館」がある。

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